塚本由晴氏

塚本由晴氏

建築家、アトリエ・ワン共同主宰、
東京工業大学大学院教授

トビムシは地域の必然的な
事物連関を整える。

事物連関のツボを押さえる。

東日本大震災の復興をお手伝いした時のこと。牡鹿半島の漁村集落に入って人々に家はどんなだったかと聞いたら、裏山で伐った木で地元の大工と一緒につくった漁師住宅だったと言う。でもその裏山は何十年も放置されていた。復興の目安として住戸数も大事かもしれないけど、ものごとの連関の復興がもっと大事だと思いました。わたしたちは地域の人々の身の回りの環境への繊細な眼差しに学んで漁村の未来を提案したつもりだったけれど、それは時間も手間もかかるので復興プランにはとり入れられなかった。20世紀につくられてきた制度が、産業的連関を動かしやすくしていて、地域の資源やスキルをつなげる上で障壁になることもあるんです。だからオルタナティブを提出し、本気で批判しなければならないと思うようになったんですね。

農村や中山間地では、建築はいろんなものごとの連関の中で意味がある時だけ現れていい、建てていいんです。それが本来的で大事なことだと思う。
いま自分たちの暮らしが立脚している事物連関を理解した上で、資源へのより良いアクセスとか、スキルの交換が起こるきっかけを建築がつくれないか、と考えています。それはわれわれとトビムシとの共通点ですね。

都市は都市、地域は地域でその環境における事物連関がある。普遍的なものがあるわけではない。それは誰かの意図ではなくて、知らない間に変わっていく。後になって、あれ昔と全然違うんだねって気づかされる。
だけど、20世紀を反省的に振り返ることで、連関の変容のきっかけや、波及の仕方など、連関の変容についてのツボは押さえられる気がします。いくつか選択肢がある時に、どっちにいくかの判断は、連関への影響を考慮したものでなければならない。地域の風景をつくるために何かやるというより、事物連関を整えるきっかけをつくり、それに風景がともなっていく。そうなるように地域への提案のツボを考える。トビムシはそれをやっている。

「資源的人」になっていく。

漁師や山の人たちに会うと、都市にいるのとは違う人々だとわかります。彼らも文明の利器は使いますが、身の回りにある資源を自ら採りにいける知識と経験がある。都市の人は産業によって資源をあてがわれている。いつのまにか私たちはそんなところに押し込められている。
よく「人的資源」が大事とか言いますが、それはマネージャーや採用担当者から見た人間像であって、その枠に自分をあてはめなければ生きられないと思うのは間違っています。いま社会に必要なのは語の順番を入れ替えた「資源的人」なんじゃないかと学生には言っていますし、資源的人になるのを支援する建築を想像しています。そうすれば都市だけではなく、農村、漁村、中山間村で、建築がいろいろ役割を果たせると思います。

コロナ禍により外出自粛が続く中、世の中のしごとについて色々考えさせられています。その中で建築の設計は、第何次産業なのかなと。建設業の一部だから第二次産業だけど、デザインという知的生産は第三次産業でもある。だからその中間の2.5次産業という中途半端な位置にいるんじゃないか。建築を学んだ若い世代で、すばしっこい人は、今カフェやコワーキングを運営して、建築設計をさらに3次の方に近づけています。そういう新しい動きを羨ましさ半分でながめていますが、自分はサービス業の方に接近するのではなく、むしろ風土や自然環境に向き合う第一次産業に接近するほうが性にあうようです。建築設計の1.5次産業化?かな。
今回、第三次産業に65%の就業人口が集中し、その中でもサービス業は1か月営業しないと破綻しかねないことが明らかになりました。ということはパンデミックに対してかなり弱い社会になっているわけです。それもあって、建築設計はより第一次産業に近づくことができればいいなと。

そう考えているところにトビムシと仕事をする機会に恵まれ、竹本さんに「いい問題」をもらった気がしています。
里山の仕事は目の前にある資源にどう取り組み利用するかということになる。研究室でも、里山のR&Dを学生と始めました。地元の木材や竹で家具のデザインをする、台風で山の木が倒れたところを整理してトレイルにする。そのために学生数名にチェーンソー研修を受けてもらってます。トビムシの即戦力になりそうな資源的人が育ってきています(笑)。

責任ある主体である人々のふるまいから考える。

これからの世の中をつくる。誰がそれを責任もってやるのか?そう考えた時に、政府でも、自治体でも、民間企業でもない。やっぱり「人々」ではないかと思うんです。
人々が、昔のコミュニティのような強い連帯ではないけど、なんとなくなにかを共有しながら、これからの世の中に向かっていかないといけない。でも、そのなんとなくのつながりは、産業社会的連関への依存かもしれない。そうなると自分たちで決められなくなる。それがいやなんです。 私たちが自立自存でいられるためにどうするか。その土台を、私たちが身に付けているふるまいから考える。ただしふるまうのは人だけでありません。熱、光、空気、湿気など自然の要素にもふるまいがあります。街ごとに建物のかたちや集まり方が違い、それが街並みを作っているのも建物にふるまいがあるから。ふるまいというのは、繰り返しですから、文化的基層に通じていて、かついろいろな事物の均衡に条件づけられているわけです。そうしたふるまいがストレスなく持続的に繰り返されるのを支援するところに、建築ができることがたくさんあります。しかもふるまいは独占できない。共有しかできない。だからこの事象に「コモナリティーズ」という言葉を当てました。「コモンズ」も考えたのですが、それはすでに共有の土地や資源を指すことばとして定着していましたから、避けました。

社会を変えていく責任ある主体にとって、コモンズやコモナリティーズを見定め、束ね、ドライブさせることが大事なのですが、その精神はトビムシの活動にも感じています。トビムシはさらにそこに、行政や組合や企業など、アドミニストラティブなアクターを引き込んでくる。闘うわけでなはなく、仲間にする。

私がやっているのは「建築ふるまい学」であって、デザインという言葉は使わなくていいかなと思ってる。いわゆるかっこいいものをつくるのはやめた。世の中的なかっこいいはもう追わない。「アトリエ・ワン(Atelier Bow-Wow)」という社名の時点で、近代的かっこよさは捨ててるんで(笑)。でも悪くないと思ってます。トビムシもいい社名ですよね。

2020年6月

竹本より

塚本由晴さんとの初めての出会いは、2014年、某ハウスメーカーが木の家のブランドを立ち上げるプロジェクト。そこで、建物と風景との連関、その心象が近(親)しい建築家をようやく見つけた!と勝手に思い(込み)、出会った翌週には東工大の塚本研究室を訪問、同調(?)し、その流れで、当時、我々が関わる地域の家づくりの基本設計(ふるまい)を打診、以降、八女の里山賃貸住宅をはじめ、地域の事物連関を紐解く地道な作業をご一緒いただいている。
トビムシは、難しく言えば、地域の「存在者」をカタチづくる事物連関から、地域の「存在」、塚本さんの言葉でいう「ふるまい」を紐解く、というとても面倒な作業をただただ真摯に丁寧にやってきていて。そのことを、建築の視座から、広く共感してもらうことはあっても、コモンセンスの下、実務レベルで協同化することは難しい現実があるなかで、塚本さんとは何ら躊躇なく実践できている(と思っている)。例えば、直近の協同(事業)、その報告書の序文には彼らの言葉でこう綴られている。「構築環境(Built environment)は一般的に人工的な環境を意味するが、本報告書では、建築や道路と共に田や山林も人の手が加えられたものであると考えられるため、構築環境として捉えている。」一瞬(畏れ多くも)自ら綴ったのではないか、と錯覚をおこすほど、塚本さんの思想はトビムシのそれと同調し連関しているものと考えている。今日も明日も。都市でも地域でも(笑)。

いとうせいこう氏
いとうせいこう氏
藻谷浩介氏
藻谷浩介氏